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April 11, 2011
あの大震災から、ちょうど1ヶ月。
いまだ、緊張が続くのは先が見えない原発事故の処理と、いつまでも続く余震のせいでしょう。
今日も揺れましたし。
それにしても今回の原発事故で、痛感したのは、高度なテクノロジーによって、
安定的にコントロールされているとされていた僕らの日常は、実は高いリスクに囲まれた
危ういバランスの上に成り立っていた、ということ。
もちろん、その「リスク」を理屈では分かっていたつもりだったけれど、
こうして「現実」として突きつけられるとやはり、認識を改めないわけにはいきません。
そして、今回ほどの切迫感は無かったものの、
「僕らの日常は、実は高いリスクに囲まれた危ういバランスの上に成り立っていた」
という感覚は2008年のリーマンショックのときにも感じていたわけです。
実際、リーマンショックの影響はいまだに深刻というか、より悪化しているというか、
今後、さらに大規模な金融危機の顕在化があると説く評論もよく目にします。
何が言いたいかというと、原発や金融といった個別の問題だけではなく、
大げさに言えば、今、僕らが享受するこの文明そのものが危うく脆いものなのかもしれない、ということ。
「じゃあ、どうする?」
答えを出すのを、もう、人任せにするのではなく、ひとりひとりが真剣に考えるべきなのだろう、
と思います。






