なぜ、僕は書くのか?
March 25, 2009
バルセロナに引っ越して、一か月。
偶然にも、僕が住所不定の車暮らしでライターをしてた頃の、
ファッション雑誌の連載担当編集者と二十年近くぶりに会って、
彼女は、この地で寿司屋を開業していました!
そして、テレビ出演もお願いして、また一緒に仕事しています。
人生、わからないもんだなあ、
まだまだなんでもできるなあ、と実感。
右も左もわからない住所不定ライター時代に、
僕に色々教えてくれたのが、デッツさんや川勝さんら諸先輩で、
徹底したモノの見方から、締め切りギリギリ入稿の根性まで、
手取り足取り教えていただいたことが、
今日の僕のブログにつながっているのだと思います。
川勝さんの近作、時代のエディターHFをさらにエディットするリリミックス「丘の上のパンク」も面白かった。
気がつくとハニカム-シーズン3-は、大昔の「テレビブロス」のようでした。
残念ながらテレビ誌は、テレビと同じように低俗になってしまいましたが、
媒体を超えて、書くこと、伝えること、作ることを辞めなかった人たちは、
もう二十年以上に渡って、多岐に活躍しています。
ざっと計算してみましたが、
過去二十年で僕が書いた文字数は、400字詰め原稿用紙で3万枚以上!
文字数で言えば、1200万文字!
我ながら驚きます。
ブログもそうですが、書くことは決して儲かることではなく、
伝えたい、という思いが強くなければ続きません。
そして、これを書くと読む人はどう思うのか?
モノであれ作品であれ、それを作った人はどう思うのか?
と、相手を慮る気持ちを育むことができる最良のコミュニケーション・メソッドだと思います。
言いたいことだけを書くだけでは、いつまでも続かない。
自分の話だけを書くだけでは、読む人はいなくなる。
それが、二十年書いてきた僕が、やっとわかったことのひとつです。
そして、良いことに書くことは、さほどお金がかからない。
誰にでもできる。
その文章には、その人自身が現れる。
日本語は、書き手の鏡のように出来ているからです。
また、書き続けることで、そしてそれを振り返ることで、
昔の自分と、いまの自分がわかります。
だから、しっかりその時の自分を書くことも大事なことです。
僕は日本語環境があまりない異国の地で、
このように日本語を書くことによって、
自分のアイデンティテイを、見つめなおします。
海外で日本語を書くとより一層、自分が知らない自分や忘れていた自分を発見できるのです。
時代が変わって媒体が変わっても、僕は一生書き続けるでしょう。
なぜなら、書きたい、伝えたい、作りたいは、壁画の時代から変わらない人間の強い力だからです。
そう思って、今日も僕は世界のどこにいても、僕の想いを日本語で書くのです。






