古着の概念からテックウェアを変える CMF OUTDOOR GARMENTとは?
2024.05.09
CMF OUTDOOR GARMENT 奥谷誠 デザイナー

CMF デザイナー 奥谷誠(LOSTHILLS)インタビュー

Edit & Text by Yukihisa Takei(HONEYEE.COM)
Photo by TAWARA(magNese)

日本では長年、アウトドアプロダクトをファッションに取り入れるスタイルが定着している。PatagoniaTHE NORTH FACEARC’TERYX といったブランドは、アウトドアブランドでありながら多くの人にはファッションブランドとしても認知され、それぞれの定番アイテムやコラボレーションは常にストリートの中でも存在感を放っている。

一方で、この15年ほどの間には、独自にアウトドアのテクノロジーを取り入れた日本ブランドも増えている。GORE-TEX®などの機能素材を既存のアウトドアとは違うアプローチで取り入れたウェアや、デザイン的にもアウトドアアーカイブを踏襲したプロダクトも多いが、ここ数年で一気にその市場に名乗り出たのがCMF という日本ブランドだ。正式名称はCMF OUTDOOR GARMENT。“快適さ”を起点に山服と街服の融合を追求しているこのブランドは、大きな仕掛けをすることなくこの数年でジワジワと成長し、現在注目を集めている。

CMF OUTDOOR GARMENT 奥谷誠 デザイナー

このCMFを手掛けているのが、LOSTHILLS(ロストヒルズ)という会社のデザイナー、奥谷誠。このLOSTHILLSという社名にピンと来た人は、おそらく90年代から00年代にかけて熱心に古着を追いかけていた一人かもしれない。今から13年前の2011年まで原宿にあった古着屋の名店、「LOSTHILLS」を代表兼バイヤーとして手掛けていたのが現在のCMFのデザイナー、奥谷なのだ。

今回HONEYEE.COMでは、これまでCMFに関してメディアで語ることのなかった奥谷へのインタビューに成功。古着屋「LOSTHILLS」で原宿の古着文化を支えた人物が、今なぜ改めてアウトドアファッションのデザインを手掛けているのか、東京・上野にある奥谷の拠点で、その想いまでを聞いた。

原宿の名店 古着屋を15年で休止した理由

CMF OUTDOOR GARMENT 奥谷誠 デザイナー

― 「LOSTHILLS」は原宿で15年も続いた古着の名店ですよね。あのお店を始めた経緯は何だったのですか?

奥谷 : もう28年前の話になっちゃいますね。高校生の頃から古着が好きで、その頃には「バイヤーになろう」と決めていました。まずは英語が必要なのでと18歳でロスに語学留学をして、一度日本に戻って大学に入ったけど2年で辞めて、ロスに移住して買付けを始めました。23歳で千葉の津田沼に「LOSTHILLS」オープンして、原宿にオープンしたのは28歳の時です。

― 「LOSTHILLS」で当時買い付けていたものはどんなものでしたか。

奥谷 : 軍モノもそうだけど、アメリカ製のCONVERSEは代表的かもしれません。通称“アナコンダ”と言うのですが、もうなくなるのは分かっていたので、当時銀行からお金を借りて、1万足くらい買い付けて。めちゃくちゃ売れましたね。だから当時の「LOSTHILLS」と言えばCONVERSEのイメージがある人は多いと思います。

― 「LOSTHILLS」はかなり知られた存在でしたが、15年続けていよいよ“老舗”になるタイミングでやめた理由は何だったのですか?

奥谷 : 15年で完全に飽きました(笑)。古着というのが絶対数が決まっている商売だし、もう後半には日本人バイヤー同士の競争とかも始まっていて。そういう中にいたくなかったし、絶対量のある中で価値付けするより、僕は新品も好きだったので、新品を売る仕事にしたいなと密かに準備していたんです。

― 今は再び空前の古着ブームですよね。

奥谷 : 古着屋をやめた僕が語るのもどうかと思うんですけど、今の古着は二極化しているんです。あの頃は高いのもあったけど、いわゆるレギュラー品もすごく良かった時代でした。今はなんでもない安いやつか、無茶苦茶高いヴィンテージの二極化。僕はそこにはあまり興味がないので、やめてよかったなと思いますね。ただ今も頑張ってる古着屋さん達は尊敬しています。自分がしなかったことなので。

古着バイヤーからデザイナーへ

CMF OUTDOOR GARMENT 奥谷誠 デザイナー

― しかし服作りを始めると言っても、当時デザインはしていなかったわけですよね。

奥谷 : スニーカーのデザインとかは少しやっていましたけど、洋服は作ったこともなかったですね。ただ輸入代理店としてロサンゼルスにいたラルフローレンのバッグデザイナーの J.AUGER  というブランドを輸入販売したり、 BROWNS BEACH というブランドの実名復刻とか、少しデザイン的なことも始めていました。

― そういう中でCMFはどのように始まったのですか?

奥谷 : 僕はダウンが好きなので、2013年頃にダウンベストとダウンジャケットを2型だけ作ったのが最初です。COMFY OUTDOOR GARMENTというブランドは1915年頃にアメリカにあったブランドなんです。ただし実名復刻と言ってもオリジナルのままは作らなかったので、そもそも復刻もしていない(笑)。でもCOMFORTABLE(快適な) なOUTDOOR GARMENTという名前はすごくいいブランド名だなと思って、今から4、5年前にCMFに改称して、ロゴも何も全部変えたんです。その後に春夏物、バッグなども作り出したら、ブランドとして人気が出始めたという流れです。

CMF OUTDOOR GARMENT 奥谷誠 デザイナー

― 奥谷さんがウェアのデザインが出来るようになったのは、多くの古着を見てきたからですか?

奥谷 : 確かに古着の知識は普通のデザイナーよりも多かったとは思います。さらにちょうどその頃から自分も山登りを始めていたのもあります。例えばARC’TERYXの服とかGORE-TEX®を搭載した服は山を登る時にもテンションが上がるんです。でも動きやすいのはいいけど、なんかファッション的に言えばシルエットがおかしい。だから機能的な部分は取り入れつつ、そういう部分をデザインで解消していきました。実際にトレイルチームを作って、そこで検証もしています。

― アウトドアだけど、CMFの服にはミリタリーの要素もありますね。

奥谷 : そうですね。頭の中に残っているんですよ、僕の中での名品が。例えば古着でも、これがフルジップだったら着やすいのにな、とか。これが邪魔なんだよな、とか。そういうのは覚えているので、作る時はこうだったらいいのにというのを実現させているんです。

― 実はCMFを作っているのが、“あの「LOSTHILLS」”、というのが繋がらなかったんです。

奥谷 : イコールにならないですよね(笑)。分かります。取引先も最初は「LOSTHILLSが作るアウトドアウェア? 意味が分からない」と散々言われましたから。

― 古着屋時代のビッグネームが邪魔したというか。

奥谷 : はい。だからなかなか門戸が開けなかった時もありましたけど、それも結局自分達の力不足なので。それを軽々と開かせるくらいのブランド力がないとですから。今は多少自信も付きましたけど。

― 古着屋でも一時代を作って、またアウトドアブランドで注目されて、セカンドライフが始まったような感じですね。

奥谷 : そうですね。要因は色々ありますけど、コロナ禍は大きいと思います。あの時、色んなお店やブランドが潰れていく中で、もっと本気で振り切ったプロダクト作りにシフトしたことで一気に状況が変わりました。プライベートでも、良いものを提供してお客さんに喜んでもらう、そういう背中を子供にも見せたいという気持ちも湧いてきたんです。

CMF 2024FW より

独自素材開発の最終目的

CMF OUTDOOR GARMENT 奥谷誠 デザイナー

― CMFのデザインはどのように行なっているのですか。

奥谷 : 自分が山に登っている時に必要なものから考えます。あとは80年代、90年代のアウトドアウェアはいっぱい見て来たので、やはり古着からの発想は多いですね。ただ、“OUTDOOR GARMENT”って名前が付いているのに、実際アウトドアで着られなかったら、僕なら「何だそれ」って思うので、絶対そうならない作りは心がけています。

― アウトドアとしての機能を求めると、開発も大変になって来ますよね。

奥谷 : 実は素材開発にもかなり力を入れています。例えば独自にCOEXISTという3レイヤーの生地を作ったんですけど、毎シーズンカケン一般財団法人カケンテストセンター)にも出して、耐水、撥水、透湿まで全部数字も取っています。

― そのCO EXISTという生地の耐水、透湿はどれくらいあるのですか?

奥谷 : CO EXISTに関しては、耐水20,000mmの透湿20,000mmです。

CMF OUTDOOR GARMENT 奥谷誠 デザイナー

― 街で着るには充分過ぎますね。GORE-TEX® にも匹敵する機能性ですよね。

奥谷 : 30,000mm、40,000mmまで上げられるけど、ものすごく値段が高くなってしまうんです。一着20万円とかになってしまったら、気軽に買えないし着られないですよね。だからそのレベルに抑えて、ファッションもアウトドアも好きな人が、テンション上げて実際に山に登ってくれたりとか、ランニングしてくれたりとか、そういう感じのものを作りたいと考えました。僕らも使おうと思えばGORE-TEX®は使えるとは思うのですが、GORE-TEX®は色々な技術上の制約もあって、作りたいデザインができない場合も多いので、自分で判断できる素材を使いたいと思って開発しました。

― インディペンデントなブランドで、素材開発まで行くのは凄いことです。

奥谷 : 今はおかげさまで売れてくれているので、その分はほとんど素材開発に回しています。このスニーカーも、アウトソールとミッドソールは独自で作っているんですけど、開発にはすごく金がかかるんです。だけど、自社の開発でスニーカーのアウトソールを作っているファッションブランドはないし、やったことのないものを自分達でやることに意義を感じています。PatagoniaとかTHE NORTH FACE、ARC’TERYX、今はあのレベルには行くのは難しいけど、僕らにはそれプラスファッションの要素があるからユーザーが増えているのだと思います。

CMF OUTDOOR GARMENT 奥谷誠 デザイナー

― 肩を並べるのは難しいけど、アウトドアレベルのことをやっている感じですね。

奥谷 : 最終的にはそういうナショナルブランドのようなところまで行けたらいいなと思っています。それは価格の面でもそうなんです。いい商品を作って、価格的にもナショナルブランド並みのリーズナブルな価格に合わせたい。買いやすい値段まで持っていくためには数量も必要なのですが、最終的に行きたいところはそっち側なんですよね。

― いまワンシーズン何型くらいですか?

奥谷 : 今は60、70型くらいです。新型もありますけど、定番をアップデートしているものも多いです。一応トータルコーディネートできるようには作っているけど、「とりあえず作る」みたいなものはお客さんに失礼なので作りません。自分が欲しい、テンションが上がるだろうというもの以外は不必要、という考え方です。極端な話をすると、半年まったく欲しい服が出てこないなら、半年休んでもいいと思っているくらいですよ。世の中に商品を送り出している以上、最低限必要なものを出し続けたいですね。

HONEYEE.COM
10 questions to MAKOTO OKUYA

CMF OUTDOOR GARMENT 奥谷誠 デザイナー

1. 一番好きな国は?

アメリカ。特にLAですね。
多国籍な州で、ファッションで言うと、ヨーロッパは結構硬い、ニューヨークはそれを洗練したみたいな感じですが、西側のカリフォルニア州に行くと、もっと自由にいろんなカルチャーがミックスして、好きに着ている。ファッションのあり方を一番謳歌しているのがLAだと思います。 

最近ハマっていることは?

料理。
和食が多いですが、酒のアテも作るし。手の込んだサラダも作るし、焼き魚も好きだし。

3もっとも影響を受けた本は?

曖昧なカテゴライズですけど、時代小説。
宇江佐真理さんが一番好きかな。江戸時代の食とか家とかしきたりとか、同じ日本なのに今とかけ離れているのが面白くて好きです。

4つい買ってしまうものは?

大田区にある五味商店さんの塩海苔
本当に美味しいから、ぜひ食べて欲しいです。

5長年手放せない逸品は?

ないですね。
あまり執着したくないんですよ。

6上野エリアでおすすめの店は?

いっぱいあるけど、珍々軒のチャーハンだけはぜひ食べていただきたい。
東上野にコリアンタウンがあって、あそこの韓国料理もおすすめです。

7尊敬している人物は?

母親かな。
病気をして、80歳も手前ですけど、まだ保険の外交の仕事しています。

8いま一番欲しい物は?

一軒家が欲しい。

9自分が絶対にやらないことは?

ギャンブル。
やったことがないし、今後も興味はない。

10自分が絶対人に負けないと思っていることは?

僕はファッションデザイナーではなく、商業デザイナーのつもりでやっているので、絶対負けないとまでは思っていないけど、強みだと思っています。

Profile
奥谷誠 | Makoto Okuya

1972年生まれ。10代後半で古着バイヤーを志し、渡米。ロサンゼルスで古着のバイヤーとして活躍し、1996年、23歳で千葉県津田沼に古着屋の「LOSTHILLS」を開店。28歳の時に原宿にもオープン。人気ショップとして知られたが、2011年に惜しまれつつ閉店。自社で輸入代理業などを行う傍ら、アウトドアウェアのCMF(CMF OUTDOOR GARMENT)を始動。機能性とファッションを両立させたウェアは人気を呼び、現在注目されている。
http://losthills-store.jp
https://www.instagram.com/cmfoutdoorgarment_official/
https://www.instagram.com/makoto_okuya/

[編集後記]
実は今から10数年前、古着屋のLOSTHILLS時代に奥谷さんを取材したことがあった。LOSTHILLS閉店後は時折道端で挨拶を交わす程度だったので、CMFというブランドを知って、それを奥谷さんがデザインしているというのは、最初うまく頭の中で繋がらなかった。久しぶりに再会した奥谷さんは、CMFの物作りに関して何度か「アップデート」という言葉を使っていたが、奥谷さん自身も古着バイヤーとしての豊富な知識をベースに、人気ブランドのデザイナーへと“アップデート”していたのだ。(武井)