前編 : 葉山でのクリエイティブライフ、小津安二郎 映画について
Edit & Text by Yukihisa Takei(HONEYEE.COM)
Interview Portrait Photo by Kiyotaka Hatanaka
LOOK 写真提供 UNDERCOVER & nonnative
5月某日朝。HONEYEE.COM編集部はUNDERCOVER のデザイナー 髙橋盾 の第二の拠点である神奈川県葉山某所の一軒家のアトリエに到着した。海岸沿いを走る道から少し山道を上がったところにあるその場所は閑静な一帯。クルマが行き交う音は消え、静かな山々からは時折ウグイスの鳴き声が響いている。
近年発表している絵画作品の創作拠点でもあるアトリエの室内には、高橋が生み出した絵画やブロンズ作品、制作途中の絵も飾ってあり、アーティスト・高橋盾の世界も広がっていた。
そのアトリエの目の前は付近の山々を一望できる広いウッドデッキ。そのデッキに髙橋、そしてnonnative のデザイナー 藤井隆行 もすでに到着していた。
今回は2022年より髙橋と藤井が共同で展開しているOZISM(オジズム)というカプセルコレクションについての対談取材である。二人はデッキに置かれた低いチェアに腰を落とし、リラックスした雰囲気で対談はスタートした。
今回の主題はOZISMについてだが、その成り立ちや背景を尋ねる中で、OZISMの名称の由来でもある日本映画の巨匠・小津安二郎監督について、そしてそれぞれの服作りの違いについてなど、話は縦に横にと膨らんだため、記事は前編、後編に分けてお伝えする。
まずは前編、二人の葉山でのクリエイティブライフ、そして小津安二郎映画の魅力について。
葉山のコミュニティから生まれた“作りたい服”
OZISMは2022年にスタートしたUNDERCOVERと nonnative によるカプセルコレクションだ。双方のブランドではあまり見られない和のテイスト、そこに機能素材や現代的シルエットをハイブリッドさせたデザインが特徴で、2024SSで3シーズン目を数える。タイプを異にするデザイナー同士の私的な会話から始まったというこのライン。まずは二人の出会いや協業の経緯について話を聞くことからスタートした。
― 最初のお二人の出会いはいつ頃だったのですか。
髙橋 : 結構昔、10何年前だよね。オレは藤井の奥さんが中学生の時から知っていたりして。
藤井 : それもあって、お会いしたらご挨拶する先輩の一人でした。もちろん僕は90年代から存じ上げてはいましたけど。僕が2016年から葉山に住んでいるのもあって、コロナ禍の時にジョニオさんもこっち(葉山)に来るからと連絡をいただいて。そこから今みたいなお付き合いになりました。
― ジョニオさんが葉山にアトリエを構えたのは、どんな経緯だったのですか?
髙橋 : ここは(写真家の)水谷太郎と(クリエイティブディレクターの)永戸鉄也と一緒に借りたアトリエなんです。コロナになって在宅リモートが増えたんですけど、「それでも割と仕事的に出来ちゃうね。だったらみんなで一拠点を設けようか」ということで探したら、この場所が出て来ました。
― 藤井さんの方が先に葉山を拠点にされていたわけですが、ここでの暮らしが作るものに影響を与えた部分はありますか?
藤井 : すごくあると思います。もともと僕が作るのは普通っぽい服というか、どこにいてもあまりチャンネルを変えない服を目指していたんですけど、こっちに来てから余計に、こういう場所でも都会でも、両方で通用する服を意識するようになりました。服自体は以前と大きく変わっていないけど、自分の中で解釈が変わった感じです。
― ジョニオさんの場合、UNDERCOVERは世界的にも「東京を代表するブランド」というパブリックイメージもありますが、ご自身が東京を離れて創作することについての懸念はなかったですか。
髙橋 : それはないですね。自分の場合、場所とか環境で作るものはあまり左右されない感じはあるので。藤井の場合は“生活に根付いているデザイン”だと思うんですけど、自分はもう少し違うベクトルで考えて作るから。ただ、このOZISMに関しては、だいぶ影響はあると思います。
“OZISMには日本の昭和、シンプルな生活、人情とか、そういう中にある豊かさが含まれているんです”(高橋)
― どのようにしてOZISMを作ろうという話になったのでしょうか。
藤井 : その頃はコロナで、ジョニオさんも(パリでリアルな)コレクションなどもお休みの、結構穏やかな時期だったんですね。それでよく一緒に映画を観たりしてたんです。それこそ寅さん(『男はつらいよ』シリーズ)とか、古い日本の映画とかを。そういう時期にジョニオさんが、「作務衣欲しいな、作ろうぜ」って軽く言ったぐらいです。それを僕が「面白いかも」と思って拾い上げたのがきっかけですね。
髙橋 : 僕は作務衣自体に昔からすごく憧れがあって。2000年くらいにWTAPSのテツ(西山徹) と一緒に作ったことあるんですけど、またやるんだったら、藤井となら面白く出来ると思ったんです。
― 藤井さんの作る服はシンプルな中に機能素材も駆使しますが、そこもハイブリッドすれば良いものが出来るかもという想定だったのですか?
髙橋 : そうです。例えばスウェットひとつ取っても、藤井の作り方だとパターンやディティールで凄く細かなせめぎ合い、アレンジをするじゃないですか。ミニマルな中でもボタンとか付属品の使い方にも個性が宿っている感じがあったので、それで作務衣を作ったら、普段自分も着れて、尚かつ今までにないものになるかなと思いました。
― デザインや決定のプロセスはどのような感じなのですか。
藤井 : 僕が主導でまずアイデアをバーっと出して、ジョニオさんも「いいね」というものしかやらない感じですね。全体のデザインが僕の担当で、逆にロゴ周りはあまりタッチしないです。
― OZISM という名称はジョニオさんの方から出てきたということですよね。
藤井 : 最初はただUNDERCOVERと nonnativeのタグが付いただけでしたが、ギリギリでジョニオさんからOZISMという名称が出てきて。そのネーミングは流石だなと思いましたね。
― ジョニオさんがあえてそこに名称を付与したのは、どんな思いがあったのですか?
髙橋 : この葉山とか自分たちがよく行く鎌倉の感じ、あとは和のテイスト、映画もそうですし、お互い見ているモノ、それを言葉にすることを考えた時に、“小津安二郎”なのかなと。小津映画に作務衣が出てくるわけでもないし、実は二人とも「寅さん」の方がよく観ていたんですけど。OZISMには日本の昭和の感じ、シンプルな生活、人情とか、そういう中にある豊かさとかが自分の中では含まれているんです。
― 現在(24SS)で3シーズン目ですよね。
藤井 : 当初はコンスタントに発表するつもりもなかったんです。UNDERCOVERにはなくて、ウチ(nonnative)にもないものを考えていたら、アイテムも増えちゃって、それが続いているんですけど。
髙橋 : そうだね。今後はもう少し工夫してもいいかもしれない。ユルいスタートだったので、あまりリリースベースに乗っからないでやって行った方が、中身と合っている感じがするね。
二人で観返した日本映画
― OZISMという名称もそうですが、今シーズンは小津作品の劇中シーンもTシャツとなって登場しています。ジョニオさんや藤井さんのような人が、この時代に改めて小津安二郎を提示するのも意義深いように感じます。ここから少しお二人に、小津映画について訊いてもいいですか?
藤井 : 僕は子供の頃に親父が観てて、よく一緒に観ていたんです。ただ全然覚えていなくて(笑)。
髙橋 : まあ、子供が観るもんじゃないからね。
藤井 : 親父は「寅さん」とかも好きだったんですけど、僕は当時日本の古いものはあまり好きじゃなくて。でもそれをこの歳になって改めて観たら、「凄くいいじゃん」になった感じです。
髙橋 : 大人にならないと分からないよね。あ、でもオレ中学校の頃には「寅さん」は観てたか。ちょっと変わっているかもしれないですね、そこは。
― そんな頃から観ていたんですね。
髙橋 : 寅さんシリーズは映画館まで観にいってました。特に日本映画が大好きで、中学校の頃から見漁っていたんです。
藤井 : それが意外でしたね、僕は。ジョニオさんは洋画ばかり観ていそうなイメージでした。
髙橋 : 洋画も観ていたけどね。でもどっちかっていうと邦楽、邦画が好きだったので。
― 確かにジョニオさんのパブリックイメージからすると意外ですよね。
髙橋 : そうかもしれないですけど、実は完全にそっちスタートなんですよ。小津安二郎は20歳くらいの頃かな。『東京物語』を最初に観て。その時もいい映画だなと思ったんですけど。それを40代、50代になって改めて見直すたびに、自分の状況とか気持ちと近づいていって、その距離感が狭まってくる感じがあって。そういう映画ってあまりないと思うんです。例えば修学旅行で京都のお寺を無理矢理見せられた感じだったのが、大人になって行くと気持ちも変わっているし、リスペクトも出てくる。大人になってやっと見れるものってあると思うんですけど、特に小津作品はそうですね。
それぞれが語る 小津安二郎映画
― お二人が一番好きな小津作品をお聞きしてもいいですか?
髙橋 : これが難しい。でも僕は『麦秋』かなあ。それか『浮草』。タイプが違うんですけど、『麦秋』は分かりやすかったというか、他の作品より“入れ”た。『浮草』は小津映画の中でもエンターテイメントな内容です。『お早よう』は結構コミカルだし、『東京物語』はやっぱりベーシックな作品。意外と作品によって起伏があるので、どれが一番というのは難しいんです。
― ほとんど全作品ご覧になった感じですか?
髙橋 : ほとんど観たけど、初期の無声作品はあまり観れていないかもですね。
― 初期の無声作品の多くは、もうフィルムが現存していないという話ですよね。
髙橋 : そうそう。でもそれを収めたDVDを貰ったから、藤井、今度観ようよ。
藤井 : 僕は『秋刀魚の味』かな。日本の経済が上がってくる時代の中で、家族のテーマも出てきて。街の感じもたくさん出て来たし。
― 小津作品は1940年代後半から50年代のものも多いですけど、1945年が終戦だとすると、すごく早く復興したんだなというのが伝わりますよね。
髙橋 : そう考えるとすごいですね。確かにあまり悲壮感がない。戦後すぐであんなにポジティブな感じというか、サラリーマンの生活も出来上がってたんだね。
藤井 : みんなスーツの着こなしとかもカッコいいんですよ。映画にスタイリストがいたのか分からないですけど。
髙橋 : 今でも違和感ないよね。
― 作品が6、70年経っても、どこか今の生活感に近い、パーマネントな部分があるからこそ、今も鑑賞に耐えるという部分もあるのでしょうか。
髙橋 : それも大きいですね。家族、子供たちとの距離感とか。『東京物語』なんかは特にそうですけど、そこが一番今でも観られるポイントかもしれない。黒澤(明)だとそこに焦点は当てていないんで。本当に一般の人々の生活を表現している監督だと思います。
― 小津作品は映画としては基本的に“何も起こらない”ですよね。ハラハラする事件もないし、今の映画よりもテンポが遅い。今の若い世代はYouTubeも倍速で見て、“タイパ”とか言われている時代なので、こういう映画を腰を落ち着けて観るというのはなかなか貴重な気もします。
藤井 : そうですね。うちのスタッフにもDVDを3枚渡したんです。「せめてTシャツになっているやつだけでも観て」って言ったんですけど、結局「観れませんでした」って(笑)。
髙橋 : いやあ、若い時にあれは観れないと思うよ。“展開がない”映画だし。オレはここ何年か展開がない映画にグッと来ちゃう。でもそれは趣味もあるかもしれないし、若い子でもそういうのを好きな子はいるから、一概には言えないけど。いろんな人生経験積んで、家族を持ったりしないと観れない作品だよ。
― ちなみに小津作品の構図的な部分をお二人はどうご覧になっているのですか? ローアングルや、かなり偏執的に“格子”の構図が出てきますが。
髙橋 : それが先行している部分があるじゃないですか。ローアングルとか長回しとか。僕は話を追う方に集中するけど、それでも改めて観ていると、無茶苦茶カッコいいですよね。カラー作品では画面のどこかに赤が入っていたり。あの入れ方とか、一個一個切り取っても凄くカッコいい。
― 小津作品や『男はつらいよ』もそうですけど、一つの画面の中にいろんな人物がそれぞれ動いているという、舞台的な構図の映画もあまりなくなりましたよね。
髙橋 : 家族団欒の時間がなくなっているからかもしれないですね。昭和の映画ってそれが多かった。自分の小さい時はそうだったけど、掘り炬燵があって、そこに子供たち、爺ちゃん、婆ちゃんがいて。『家族ゲーム』(1983年 監督 : 森田芳光 主演 : 松田優作)の横一列で食事しているシーンとかも良かったけど、あれも昭和の一部ですよね。
藤井 : 家の作りも変わったんですよね。
髙橋 : 地べたに座ってるからローアングルが成立するんだよ。今の生活でローアングルだったら、足元しか映らないもん(笑)。生活もだいぶ変わったので、その過渡期の一つとして観てもすごく貴重ですよ。家族の関係とか、“間”とか、今の家族の関係性と違うもんね。
後編に続く
[INFOMATION]
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