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予測不能にして多動なスタイリストのプロフィール
Edit & Text by Yukihisa Takei(HONEYEE.COM)
Photo by Keisuke Nagoshi(UM)
日本のスタイリストの重鎮・熊谷隆志 が、かつて手がけていた自身のブランドである GDC(ジーディーシー)を2025年春に再起動するという情報が編集部に飛び込んできた。
GDCは熊谷が日本でスタイリストとして活動を始めた4年後の1998年に始動。90年代後半から2000年代前半にかけて爆発的にヒットし、今も語られる一世を風靡したブランドだ。そして「スタイリストがブランドを手掛ける」潮流を作ったという意味でも、パイオニア的存在として知られている。
熊谷はGDCを手放した後も、スタイリスト活動の傍らBIOTOP(ビオトープ)、CPCM(シーピーシーエム)などのセレクト業態、NAISSANCE(ネサーンス)、WIND AND SEA(ウィンダンシー)など数々のショップ業態やブランドのヒットメーカーとして活躍、その他多くのプロジェクトでも手腕を発揮している。
その熊谷が約20年の時を経て、なぜ自らの手でGDCをリスタートさせるのか。その理由を聞きに本人のもとを訪ねた。GDCの復活を、自ら「第3の人生の始まり」と語るその理由とは。
“御法度”だったスタイリストによるブランド
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― 当時GDCは、どういうきっかけからスタートされたのですか?
熊谷 : GDCは3人の代表でスタートしたんですけど、確か50万円ずつ出して「Tシャツ作ろうぜ」というところから始まりました。
― GDCをスタートされた1998年は、熊谷さんが写真家 レイク・タホ としての活動も始まっていた頃ですよね。
熊谷 : スタイリストではありましたが、「もしかしたら自分でもうまく撮れるかも」と思うシーンも多かったですし、撮りたい気持ちも強かったので写真家としても活動を始めました。すでに風景写真は自分名義でも撮っていましたし、スタイリスト仕事の時も自分で撮った写真を(イギリスの)『iD』のディレクターに見せて、それが採用されたりもしたので、なんとなく自信はあったんです。なので、自分は平間至さんとか高橋恭司さんとか、素晴らしいカメラマンの方々とだけ仕事が出来ればいい、それ以外の写真は自分で撮ろうと。だから“餅は餅屋”を崩壊させてしまった張本人じゃないかと自分でも思っています。服作りもスタイリストがやるのは御法度だった時代に、「自分が好きなもの作る分にはいいでしょ」と思って始めました。
― 今の時代だと、「スタイリストを10年くらいやった人が、いざブランドを」みたいな感じが一般的だと思うのですが、なぜ独立してわずか4年でブランドをスタートできたのでしょうか。
熊谷 : それって、説教じゃないですよね(笑)。
― いやいや、まさか(笑)。
熊谷 : 当時はスタイリストとしてすごくいい状態で仕事も決まっていたんです。祐真(朋樹)さんとか(野口)強さんとかの先輩たちがいましたが、そんなに同世代のスタイリストはいなくて、時期的に。先輩たちには怒られましたけど(苦笑)。
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― 怒られたのですか?
熊谷 : 怒られましたし、出禁の洋服屋もたくさんありました。たぶん誰かが「貸すな」って言ったんじゃないですか? 「あいつ自分のところでブランドもやってるから」とか、「あいつは(デザインを)パクってる」とか。パクったことなんてないですよ。でもまあ仕方ないか、と思って。“出る杭は打たれ”てたんですけど、こういう人間なもんで、反骨精神でもっとやる気になっちゃったという(笑)。
― そういう渦中にあって、GDCがあれだけの勢いになることは予想されていましたか?
熊谷 : いや、そこまで想像はしていないです。50万で始めたものだし、Tシャツも最初何を作ったのかな? 覚えていないですけど、「リンカネーション」とか「輪廻転生」から「RINNE」みたいなキャッチーなワケの分かんない造語みたいなのを作ってTシャツにしているうちに、みんなが支持してくれるようになって。自分はMADE IN WORLDという洋服屋さんでバイトしてたんですけど、辞めた後も良い関係が続いていたので、MADE IN WORLDで売ってもらって、売り切れたら自分で刷って持って行く。週末に400枚売れたら、次の日に400枚持っていく。そういう感じでした。
― 当時作ったものって、どれくらい覚えていらっしゃいますか?
熊谷 : ちょうどいま、昔作ったものを集めているんですけど、なぜそういうデザインにしたのかはあまり覚えていないんですよね。パリに住んでいた頃からパリのオペラ座の衣装を集めていたりして、自分でもデニムに合わせて着ていたせいか、ナポレオンジャケットみたいなものも作ったり。そういう提案をしていたブランドは当時なかったと思います。GDCもジャンル的には“裏原”なんでしょうけど、他の裏原ブランドは基本アメカジなので、ヨーロピアンテイストが入っていたのもウチだけだったし、店も少し離れて代官山に作ったりして、ちょっとズラしたのが良かったのかもしれません。
― 当時デザイン的に攻めていたアイテムも、ちゃんと受け入れられたのですね。
熊谷 : 雑誌のスタイリング仕事でもヨーロッパっぽいテイストは出していたので、紙媒体でのスタイリングとGDCがマッチしていたのかもしれない。当時は雑誌しか情報伝達手段がなかったですから。
サーフィンとの出会い、「空白の30代」からWIND AND SEAまで
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― スタイリストでデビューされましたが、GDCもそれだけ当たって、「もうスタイリストはいいかな」と思ったことはないですか?
熊谷 : そうはならなかったですね。ならなかったけど、「これって夢だな」とは思いました。当時の年齢にしては結構なお金も入ってくるじゃないですか。「これは夢だから、溜めないで使おう」って、2、3年は金遣いも荒かったです。だけど「なんか違うな」とも思いつつ。そういう生活にも疲れた頃にサーフィンを始めました。そこから葉山に米軍ハウスを借りたりして、ちょっとメロウな生活にシフトしていくんです。多分33歳くらいの頃に売却したと思いますね、GDCを。
― その時点で普通の何倍も早い人生というか。
熊谷 : そこから結婚するまでの43歳くらいまでは、もちろん一線にはいたつもりですけど、サーフィンしたり、のんびりした生活でした。それを僕は「空白の30代」って呼んでいて、その33歳から40歳くらいまでのことはあまり覚えていないんですよ。ゆったりしすぎて。忙しい時の方が覚えているもんですね。GDC売却してから“無の時間”があって、その後にBIOTOPとCPCMでバイイングをするようになって、また沸々とファッションに対する興味も湧いて来たんです。
― 熊谷さんはサーフィン、CPCMではクラフト、BIOTOPではグリーン、近年だとゴルフとか、どちらかというとライフスタイル寄りの提案をされていたと思うんです。
熊谷 : いつも早過ぎちゃうんですよ。あの後にめっちゃ流行ったじゃないですか、グリーンが。CPCMみたいなのもまた最近流行ったし。いつも早過ぎちゃう。一呼吸置けばいいのにね(笑)。早過ぎて、自分がお腹いっぱいになっちゃうのも早いんです。
― WIND AND SEA はどういう流れだったのですか?
熊谷 : その頃僕も古着とかネイティブアメリカンとかオーセンティックな服を着すぎて疲れちゃって、スウェットのセットアップみたいなのばっかり着てたんです。洋服を着過ぎた人間って、「もうセットアップでいいや」みたいな気持ちの時ってあるんですよ。当時を振り返ると自分の私服もそんな感じでしたし、駒沢に店を出して、「WIND AND SEA」って描いてあるTシャツを売ったら、またGDCの時と同じように凄い勢いで売れ出すんです。ちょうどコロナ禍でみんな外に出ないので、共同経営の人と一緒にオンラインのシステムを作って、隔週でアイテムを出すようにしたら、それも当たったという感じでしたね。
GDC再起動は、yutoriとタッグを組んで
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― あえて自分の原点であるGDCを再起動しようという背景には、何があったのですか?
熊谷 : WIND AND SEAもだんだん自分のコントロールが効かない部分も出てきたので、結果的にWIND AND SEAから離れたんです。だからもう全て自分がコントロール出来るものをやろうと。それって結局自分の中でリンカネーション(輪廻転生)しているというか。3回人生を送って、また元に戻って来た感じ。新生GDCでは自分の持っている(ファッションの)ボキャブラリーを、ライフスタイルにしても何にしても、ブチこんでやろうと思ってて。でも自分の年相応の経験値のことは出来るけど、若い世代に対してのアプローチはなかなか難しいと思ったんで、パートナーをyutori(※)にしたんです。
※ yutori…株式会社yutori。2018年創業の新鋭アパレルカンパニー。2023年には東京証券取引所グロース市場への新規上場も果たした。社長は24歳で起業した片石貴展。
― これが意外でした。なぜ今回yutoriと取り組むことにされたのでしょうか。
熊谷 : 面白いじゃないですか。賛否両論はあるんでしょうけど、やっぱり若い活力を感じるんで。僕もあのパワーを欲しいし、「yutoriのやっているGDC」というよりは、GDCをやることでyutoriの人たちにも刺激になって欲しいなとも思って。
― 新生GDCは、どんなテイストになるのですか?
熊谷 : 自分はヨーロピアンもアメリカも同じくらい好きなんで、それが一緒くたになっているのがGDCだと思っていて、今回のリブランディングもそういうテーマにしようと思っています。昨今の古着ブームで、若い子たちはアメリカの古着中心に見ているので、ヨーロッパの古着ベースのものも取り入れて提案しようと思っています。最近は20代の子たちの(ファッション関連)YouTubeをすごい観てますよ。「これにときめくんだ!」とかが自分にとっては凄く新鮮で。
― 当時GDCを着ていた人を狙うのではなく。
熊谷 : もちろんそういう人たちにも届けたいし、最初からそういうモノも作っていますけど、やっぱり若い世代にも届けたいと思っています。
― GDCのシーズンコレクションはどれくらいになりそうですか?
熊谷 : 最初の1年間はシーズンで考えずに、隔週ペースでコラボの間にオリジナルを出そうと思っています。26年SSシーズン以降は、地方のセレクトショップで昔の恩義がある方を呼んで展示会ベースにするつもりだし、そろそろ中国や香港にも出していきたい。でも展示会やルックのために余計なアイテムを作るようなことにならないように、一個一個のアイテムを主役にしたいと思っています。自分の中にはストリート、シンプルで上質なもの、ヴィンテージもあるんで、全部入れます。あとはフレンチトラッド的なものも入れていきます。この1年で「GDCとはなんぞや」というのを作れたらいいなと。
― それだけの要素を一つのブランドの中に収めるのは普通は難しい気もしますが、それも熊谷さんの中にあるものだから作れる、ということですね。今度の新生GDCでは、“熊谷隆志”という人物がより出てくるというか。
熊谷 : そうです。そこは商業的な考えの元ではなくて、あくまでも自分のアーカイブ、ライブラリーが世の中に響くかどうかっていうところで。下手したら(テーラード)クロージングまで行っちゃうかもしれない。普通のグレーのサラッとしたスーツにスニーカーを合わせるとか、そういうこともしたいです。ストリートの格好にAlden(オールデン)とか合わせたりとか。色々逆を行きたいので。
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― 先ほどの「3回目の人生」というお話を聞いて納得したのですが、熊谷さんのやってきたことってまさに“多動”というか。別のインタビューでも「常にプロジェクトは両手くらいある」とおっしゃっているのを拝見しました。今も他に進行中のプロジェクトも多いですよね。
熊谷 : あ、自分は完全に多動症ですよ。診断こそされていないけど、アンケートは100点。ウチにも奥さんが読んだ『ADHDの夫を責める前に読む本』って本が食卓に置いてあったりしたし(笑)。でも、そういうところが多分自分にとってプラスになっているし、もちろんマイナスでいろんな人に迷惑もかけているんでしょうけど。経営者やディレクターには多動症の方は多いんじゃないですかね。
― 多動が原動力になっている。
熊谷 : と、思います。前は十人の話を同時に聞けたんですよ、聖徳太子みたいに(笑)。「いろんな事を3コ同時にやれば時間短縮出来ていいよな」って本気で思っていたんです。サーフィンとか奥さんと出会ったおかげで、ちょっとゆっくりになりましたけど。でも今でもやろうと思えば、20案件くらい同時に出来ます。同じパッションで。あ、でもGDCが始まっちゃったので、同じパッションでは出来なくなるかもですね。“3回人生を送っている”と考えると、多分今回のGDCが最後になると思うので。
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Profile
熊谷隆志 | Takashi Kumagai
1970年生まれ。渡仏後の1994年に日本でスタイリストとしての活動をスタート。1998年にレイク・タホ名義で写真家としての活動も開始し、同年に自らがデザインを手掛けるブランドGDCをスタート。2011年にNAISSANCE、2018年にWIND AND SEAを立ち上げる。BIOTOP、CPCMでは外部ディレクターとして活躍し、現在も数多くのブランドやプロジェクトのディレクションを手掛ける。長年トップスタイリストとして君臨し、輩出したアシスタントも多く、それぞれが第一線で活躍している。2025年にGDCを再始動。
https://www.instagram.com/takashikumagai_official/
https://takashikumagai.com
[編集後記]
熊谷さんのこの30年間の活動は、スタイリスト業に留まらず、「気がつくといつも新しいことを手がけている」というのが個人的な印象だ。プロフィールを追いかけるだけでも精一杯なほど多岐に渡るそれぞれのプロジェクトは、いつも時代の数歩先を行き、ブルドーザーのように走っているようで、その足跡は繊細。そんな人が“満を辞して”再始動するGDCは、また日本のファッションに新たなうねりを作るのは間違いなさそうだ。(武井)