Children of the discordance
2021.12.24

クリエイティブはすべての経験から生まれる
Children of the discordance デザイナー志鎌英明



Edit&Text by Yukihisa Takei(HONEYEE.COM)
Photo by Keisuke Nagoshi(UM)



ストリートから生まれたラグジュアリー
遅れて来た奇才の半生

ここ数年で世界規模の人気を誇るようになったブランドChildren of the discordance(以下 COTD)。特にヴィンテージバンダナをファブリックに用いた服のクリエイションは、海外のセレブリティたちをも虜にし、Dover Street MarketやBrowns をはじめ、各国のラグジュアリーなブティックにも並ぶようになった。人によっては「忽然と現れたブランド」という認識も強いかもしれないが、もちろんこのブランドの作り手にも歴史がある。

今回HONEYEE.COMは、COTDのデザイナー、志鎌英明が作った都内某所の新しいアトリエを直撃。彼の生い立ちから現在に至るまでを共に振り返りながら、COTDの服から匂い立つ独特な魅力の理由に迫った。

話を聞くうちに、ブランド名である“不協和音の子供”とは、リアルなストリートカルチャーを自ら存分に経験してきたデザイナー・志鎌英明そのものであり、その極私的カルチャーを表現したものが世界中のファッションフリークを虜にしているという事実が浮かび上がってきた。遅咲きの奇才の半生を聞いた。



ミックスカルチャーの街・横浜で出会ったヒップホップ、スケートボード、ファッション

志鎌英明は1980年に横浜で生まれた。今ではCOTDを代表するファブリックとなっているヴィンテージバンダナとの出会いは小学校時代にまで遡る。

「当時親がアメリカ製のバンダナで弁当を包んでくれていたんです。そこでまずバンダナが好きになって。親が音楽好きで家ではMTVやBillboardが流れていたので、頭にバンダナを巻いたギャングスタ・ラッパーや、ハードコアバンドがクロスモチーフのバンダナを身につけている姿を自然に見ていました。『あのクロスのアメリカ製バンダナはどこに売ってるんだろう』と地元で探したけど売ってない。それで中1の時に原宿まで探しに行って手に入れたんです」

13歳にしてわざわざ東京までお目当てのバンダナを買いに行くあたりに志鎌の深堀りの早さが現れているが、志鎌に大きな影響を与えたのは、東京というより地元・横浜のストリートカルチャーだという。

「横浜は港町なので、東京とは違うミックスカルチャーがあるんです。僕もハードコアやヒップホップミュージックは早い段階から聴き始めていたし、地元独自のレゲエカルチャーもありました。中1からストリートスケートも始めたんですけど、今から考えても地元の先輩たちがむちゃくちゃオシャレで。スキニーボトムにVANSのスニーカーを合わせながら、自分でぶった斬ったネルシャツの背中に “g”マーク。『それ何ですか?』と聞くと、『いま原宿で売れているGOODENOUGHだ(※ 藤原ヒロシ、SKATETHINGらが手がけたブランド。90年代の日本のストリートファッションを牽引した存在)』とか、GORO’SやUNDERCOVERなどの裏原ブランドを教えてくれて。僕はヒップホップ好きのBボーイだったので、初期のSupremeとかは既に着ていたけど、さらに”裏原“という世界があることをそこで知りましたね」

しかし東京・原宿まで行っても、熱狂の渦中にあるショップではほとんどのモノは売り切れ。リセールショップでは高値で取引されていて、とても中高生の財力では買えない。聞けば地元の仲間たちの中には“物騒な手段”も駆使して入手していた者もいたという。そんな少し悪い仲間たちに囲まれながらリアルストリートの環境で育った経験は、良くも悪くも自分にとって大きかったと志鎌は振り返る。

ファッションに目覚めた落ちこぼれ学生、SHIPSへ

高校時代から志鎌はさらにミュージックカルチャーとの関係性を深めていく。レコードを買い漁ってDJをしながら、自らもヒップホップMCとしての活動を開始。それは2005年頃まで続いた。一方、ファッションに目覚めていた志鎌は、高校卒業後にファッション専門学校に進む。

「成績が悪かったので文化服装学院には入れず、別のファッション専門学校に行きました。そこでも『学校始まって以来の出来損ない』とまで言われましたけど(笑)」

この時期、地元でアメカジの深い知識を教えてくれた先輩がセレクトショップのSHIPSに転職すると聞き、志鎌もその後を追って19歳で横浜店のスタッフに。「自分が好きな服はほとんどなかった」ものの、SHIPSで働く間にメンズファッション誌のスナップの常連になっていた。

しかし志鎌は2003年に「特に何も考えずに」退社。UNDERCOVER や RAF SIMONSの服に熱狂していた志鎌は、昔買って値上がりしたレコードを売り捌きながら、高額な服を大量に買い続ける生活を送っていた。


超個性派セレクトショップAcycleの立ち上げ

その1年はファッションから離れ、朝早くにバスに乗って現場に向かい、工場などで働く「無為な生活」を送っていたという志鎌のもとに一本の電話が入る。それはSHIPS時代の上司からだった。

「そろそろちゃんとした生活をしないとマズいなと思っていたところに『本社で働かない?』というありがたいお誘いだったので、再び入社することにしました。そこで改めて服のデザインの勉強を始めて、毎日遅くまで働いて、朝は誰よりも早く会社に行く生活をしながら、服作りをイチから教えてもらったんです。そうしている間に『原宿に物件があるから、何かやってみる?』という話をいただいて、初めて自分で事業計画を出して出来たのがAcycleというセレクトショップです」

PHOTO by SHIPS


PHOTO by SHIPS

Acycleは2005年に東京・原宿にオープン。2011年にリーマンショックの煽りを受けてクローズしているため、現在では知る人も少ないが、大手セレクトショップのSHIPSが手がけているのが不思議なほど尖ったショップだった。ブランドのセレクトはすべて志鎌によるもので、特に国内デザイナーズブランドとは志鎌が直接交渉を行った。

国内外70にものぼるニッチでエッジーなブランドが並んでいたAcycleは、個性派のファッション好きには堪らない“濃い”セレクトショップだった。ANREALAGEのようにその後に大きな発展を遂げたデザイナーもいれば、強烈なイメージを残しながらも消えていったブランドもある。

一方でSHIPSに7年在籍中最後の3年間の志鎌は、SHIPSオリジナルのシャツを年間100型、トータルブランドを年間70型、ウィメンズブランドのディレクションを年間100型という膨大な量のデザイン業務も行っていたという。セレクトショップAcycleのバイイングやディレクションと並行してやっていたこの時期が、デザイナー、ディレクターとしての志鎌のスキルを上げていったのは間違いない。


パリで受けた“doubletショック”

2011年にAcycleが閉店する少し前に志鎌はSHIPSを退社し、Acycle後期に3人で立ち上げたブランドChildren of the discordanceと、グラフィックのクライアントワークをベースに独立することになった。のちに志鎌は単独で服作りをするようになる。

「そこから数年間は毎シーズン2ラックくらいの服を作って細々とやっていました。分かる人に届けば、くらいの気持ちでしたね。2015年にはInternational Gallery BEAMSでも取り扱ってくれるようになって、ニューヨークの展示会にも出たことで少しずつ国内外の取引先も増えてきました。その勢いをいよいよヨーロッパにも、と思って2017年にパリで展示会をやったんです。でも1週間会場を借りている間に来てくれたバイヤーはたったの2組でした」

意気揚々と乗り込んだパリで惨憺たる状況に落ち込む中、志鎌はさらにショックな光景を目の当たりにする。それは別の会場でやっていた日本のブランドの合同展示会に足を運んで見た、同じ日本ブランドのdoubletのブースに多くのバイヤーが詰めかけている様子だった。

「ショックでしたね。合同展示会に出ていた他のブランドにもそんなにバイヤーは来ていなかったけど、doublet.だけが異常な人気で。そしてColette(パリの有名セレクトショップ。現在は閉店)に行ったらその時期は1階が全部doubletになっていて、さらに衝撃を受けました。同じ日本のデザイナーが活躍しているのは嬉しいけど、言ってみれば僕も同じ世代のデザイナーなので、強烈な悔しさの方が残りました」


“命を賭けて洋服を作る”

意気消沈したパリからの帰国後、志鎌は1冊の雑誌を手にする。それは雑誌『EYESCREAM』がsacaiを特集した特別号だった。(この号はHONEYEE.COMの現編集長である武井が手がけたもので、当時から親交があったため直接手渡した)

「武井さんにいただいたこの本を何気なく読んでいたら、どんどん悔しくなってきたんですよ。『俺だって誰にも負けないくらいファッションが好きなのに』と。そして『今までの自分には情熱が足らなかった。一回命を賭けて服を作ってやろう』と思って、それまでの生活スタイルを一気に変えて、本当に服のことしか考えないようにしたんです。トイレにはsacaiの特集を置いて、毎日見続けました」

志鎌はクリエイションへのマインドを変えただけでなく、COTDの新しい姿についても考えを変え始めたという。

「日本のマーケットを意識するのを一旦やめたんです。どうやったら海外のブティックで、GUCCIやPRADA、BALENCIAGA、Maison Margiela、ALYXといったブランドと並んでCOTDを置いてもらえるかを真剣に考えました。そこに入るためには他のメゾンがやっているような服を作っていたら一生並ばない。だから僕は自分が好きなヴィンテージのファブリックを使いながら、どれだけお金がかかってもいいので、とにかく最高のものを作る方向に変えたんです」

志鎌はデザイナーとして2017年のTOKYO FASHION AWARDを受賞。その副賞として切符を手に入れた2018年6月のピッティ・ウォモに出展すると、大ブレイクを果たした。そのブレイクは、「自分のブランドと好きな服をミックスして着て、会場の周りをフラフラしていた」志鎌のファッションスタイルを、ストリートスタイル・フォトグラファーたちがこぞって取り上げたことがきっかけだったという。

その年末にはLAのセレクトショップ maxfieldが大々的にCOTDをプッシュし、その勢いは逆輸入のような形で日本にも伝わり、NUBIANやidea by SOSU などコアなセレクトショップでも展開が始まった。


執念のパッチワーク

COTDを代表するヴィンテージバンダナのパッチワークの凄みは、徹底した素材選びはもちろん、その組み合わせの妙にある。世界中のルートから集めた膨大な量のバンダナを仕分け、デザインしたパターンに柄の組み合わせを考えながら落とし込む。その作業ができるのは志鎌と外注契約している一人のスタッフのみ。

「1着作るのにバンダナはだいたい20数枚使っています。絵型のパーツに番号を振って袋詰めして工場に出すんですが、僕だけで年間300ピースくらいはやっているので、悩み出したりすると終わらないし、途中で頭がおかしくなります(笑)」

色味、柄には一定の秩序がありながらも、単調さを感じさせないように計算されており、それが1着の服になったときにファッションとしての佇まいが表出する。もちろん一着一着で表情が異なるため、ワンアンドオンリーな存在であることもこの服の魅力となった。

“僕にしか分からないChildren of the discordanceってあるんだと思います” 

もちろんCOTDはヴィンテージバンダナのパッチワークだけのブランドではない。素材にヴィンテージスカーフを使ったものもあれば、ヴィンテージのトレンチコートを解体して新たな形に構成したものもある。そしてグラフィックや刺繍、プリントをメインにしたアイテムもコレクションのたびに増えており、その表現とアイテムの幅はシーズンを追うごとに広がってきている。それでもブランドのイメージがボヤけることはない。むしろより“らしく”なっていると言えるだろう。

「たぶん僕にしかわからないCOTDってあるんだと思います。なんでこの古着とこれがミックスなの? と普通の人は思うかもしれないけど、僕の地元(横浜)の友人には全然説明が要らなかったりすると思います。僕がやってきたスケート、聴いてきたヒップホップ、ハードコアなどの音楽、DJやラップをやったこと、熱狂したファッション。自分が経験してきたことっていうのは、そこら辺の人たちとは全然違うし、他の人に何を言われても今は『自分は自分なんで』と信じて言い切ることができます。それがCOTDの服という形になっていると思いますね」

最後にCOTDのこれからについて聞いた。

「実はこれでも自分がやりたいことの2、30パーセントのことしか出来ていないんですよ。もっと使いたい素材もあるし、贅沢に使いたいパーツもあります。あと、これまで突っ走ってきて、コラボレーションもN.HOOLYWOODさんとご一緒したくらいしかできていないので、今後はもう少しお見せできるように動いています。あとはCOTDの枠の中だけでは表現できないことも増えてきたので、近々もう一つ新しいラインを作って発表したいと思っています」

志鎌英明 Hideaki Shikama

1980年横浜生まれ。2005年にSHIPSの中でセレクトショップのAcycleのバイイング、ディレクションを務める。2011年に3人でChildren of the discordanceを立ち上げ、2013年からは志鎌

のみでブランドを継続。2014年から海外での展示会を開催し、2017年にTOKYO FASHION AWARDを受賞。世界中にファンを増やし続けている。現在COTDとは別のラインも計画中。

https://www.childrenofthediscordance.com



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